花束と眠る(市赤)

この先から腐女子表現・BL要素が混在します。
御理解戴ける方のみ、下へ御進み下さい。

 



 

   
 
 



 

   
 
 春だというのに肌寒く、雨はもう5日続いている。

 赤木は雨の降り始めた日の夜、ふらりと市川の家を訪れた。玄関先まで上がり込んだ赤木から、ぱたぱた、と滴が床に落ちる音がする。傘もささずにやって来たのか。
「小僧・・・何しに来た。」
 その細い肩は濡れ、冷えた頬には、白い髪から伝わる幾つもの滴が流れて落ちているのだろう。
「いいでしょ、入れてよ」


 それから今日まで赤木は帰らなかった。雨が降っているから、と雨の中濡れてやって来たくせに、そんな理由だけで市川の家に居ついた。
 何も別段目新しいこともない、無論、弾む会話がある訳でもなく、只、時間だけがそこにあった。
「・・・市川さん。俺と勝負してよ」
 碌に言葉も交わさず、組み敷いた薄い布団の上で赤木がそう云ったのは、雨が降り始めて――赤木が帰らなくなってから2日目の夜だった。雨音に紛れて消え入りそうな小さな声に、一瞬、赤木が泣いているのかと思うが、すぐにそんな訳はないと考え直す。
 だがそれっきり黙り込んだ相手に、市川は動きを止めた。華奢な子供の躯に掛けていた手を、探るようにその顔へとやる。
「・・・市川さん?」
 訝しがる子供の声を無視して、頬、目元へと指を滑らせ市川は舌打ちする。
 そうだ。泣いている訳などない。だったら何故確かめたりした?安心したかったのか。落胆したのか。
「・・・何だよ」
 舌打ちは正しく市川が己自身に向けてしたものだったが、それに気付かない赤木は下から不機嫌な声で聞いてくる。
「煩い餓鬼だ。黙ってろ」
 市川にも、赤木があの卓で向かい合った夜を忘れられずにいることは解っている。
 埋まらぬ苛立ちと渇望。
 解っていて市川はそれに応えることはなかった。差し向ったとしても、赤木の餓えは消えないだろうことを知っていたからだ。それは市川の確信であり、恐れでもあった。
 出来ることと云えば、ただお互いの呼吸と熱を間近に感じる、深い海の底にいるような時間を共にするだけだ。
 止めていた手を、再び赤木の熱を煽る為に這わせる。
「っ・・・市、川さ・・・っっ」
「黙ってろ」
「・・・っあ・・・」
 雨の音だけが、薄暗い部屋を満たし続けた。

 

 

日長一日と何をしているかと云えば、赤木は市川の胡座の膝の上に座り込み、肩に頭を預け、雨で煙る窓の外を見ていた。硬く骨ばかりで座り心地が好いとは思えないが、この子供は気にならないようだった。
 初め市川も膝に乗り上がってくる赤木を嗜めはしたが、一向に聞き入れようとしないのに諦め好きにさせていたら、今ではその一日の殆どを市川の膝の上で過ごすようになった。
 偶に一言二言、市川と言葉を交わし、また黙る。市川も何をするでもなく煙草をゆっくりと吸う。
 雨は止まなかった。


 3日目の夕方、部屋で何やら見付けたらしい赤木が懐いていた膝の上から離れた。
「市川さん、これどうやって合わせるの?」
 二間続きの部屋の方から声がする。
「子ザル。勝手にそこいらのモン触ってるんじゃねぇぞ」
「その子ザルと勝負もしてくれないくせに、もう他のとこでケチケチしなくてもいいでしょ」
 どういう理屈だ。いい加減、口の減らない子供の相手にも慣れてきた。
「・・・ったく、何だ」
「ラジオ。聞きたいんだけど」
「クク。お前もそんなモノに興味があるとは、やはりガキだな」
「煩せぇよシジイ」
 勝手が分からないのか、ラジオから聞こえるのはガリガリと不愉快な音ばかりだ。
 盲の市川の家にはテレビはない。ラジオは趣味という程でもないが、音楽を慰みに聞く為に随分前に手に入れたものだった。これ回すのか?出ねぇな。ぶつぶつ云いながら赤木はラジオと格闘している。
「雑に扱うな。壊されては適わん。かしてみろ」
「失礼だよね。市川さん」
 赤木がラジオと共に戻ってきた。
「・・・・・・おい」
「何?」
 素知らぬ振りで聞いてくるのに腹が立つ。
「てめぇがそこに座っちまったら、意味ねぇだろうか」
「教えてくれればいいでしょ。どうするのこれ?」
 膝の上で赤木は楽しそうだが、市川は面白くもなんともない。
「・・・一番左のツマミだ」「これ?」
 ザリ、と音が入る。
「上に付いてるヤツで音の調子を合わせてみろ」
 赤木は云われた通りにしているらしく、ラジオは音を拾い始めた。微かに聞こえるのは女の声か。よく歌のことは知らないが、流行りの歌謡曲なのかもしれない。
「入りが悪いな」
「いいよ。これで十分」
 雑音の合間に漏れ聞こえる音楽。要領を得ないその音を、しかし赤木は気に入ったようだった。
 暫らく同じ音楽を聞いていた赤木だが、勝手が分かりだすとツマミ一つで目まぐるしく変わる音に気が引かれたのか、あちこちと合わせては拾う音を変えていく。
 だがやがて何処をどう合わせているのか、次第にノイズの音が大きくなりだした。
「・・・おいアカギ」
 既に音は音楽とはいえない。ただ外れた電波の波を拾っているだけだ。時々、甲高い音や低い籠もった音を拾い、いよいよそれは雑音を吐き出す小さな箱でしかない。
「・・・楽しいか」
「・・・・・・自分が何処にいるか分からなくなる」
 止まぬ雨音と繰り返すノイズ。距離感が稀薄になってゆく。
「・・・ああ・・・でも・・・棺桶の中だ」
「棺桶?」
「そうだよ。市川さんの棺桶だ」
「・・・何だと?」
 バリバリと千切れるような音が止まない。
「――アンタがこんなオモチャで紛れるもんか」
 云いざま赤木は立ち上がった。やおら、けたたましく耳に刺さる、物がぶつかり砕ける破壊音。続け様に幾つもの不快な音が混じり、かつてラジオであったものは最後の叫びを上げ、その命を終えた。
 静まりかえった部屋は雨音に支配される。
「馬鹿が・・・何してやがる」
「・・・貴方はここで死んでるんだ。詰まらない後片付けみたいな代打ちばかり引き受けて」
 再び赤木が市川に向き直り、その前に跪く。
「市川さん」
 赤木は市川へと両手を伸ばした。近づく体温。
「俺と勝負してください。一回だけでいい。・・・それだけでいいから」
 首へと回される腕が、しがみ付き胸に感じる躯が、震えているのを市川は知らぬ振りを通さねばならなかった。
「何遍も同じことを云わすんじゃねぇよ」
 感情を消し冷たく突き放す。愚かな老体だ。肩に顔を埋めた赤木に見えぬよう、自嘲の笑みを浮かべたその時、目の前の熱が微かに動いた。
 笑ったのだ、と気付く。
 市川の心内を見透かしたのか、己の儘ならぬ想いに嫌気がさしたのか。あるいは。
「・・・じゃあ、しようよ」
 伝わる熱とは正反対の、冷えた、声。
「・・・・・・何考えてんだクソ餓鬼」
「いいよもう何でも」
 市川の首の後ろへと回されていた腕が解かれる。赤木は市川の骨が目立つ両肩へ手を掛けると、力任せにその躯を畳へと押し倒した。
「このっ・・・」
「それならいいんでしょ」
 倒す勢いのまま、市川の腹の上に乗り上がってくる。
「それくらい付き合ってよ」

 切実な程の性急さで、市川の上着の中へ手を入れてこようとするのに態勢を入れ替え、赤木の躯を自分の下に組み敷く。それでも動き回ろうとする子供の華奢な手首を捕らえ、畳へと張り付けると、息も掛からんばかりに顔を近付け見えぬ目で睨みつけた。
「お前は狂った悪魔だ」
「上等じゃねぇか」
「お前は孤独だ」
「だったら何だよ」
 市川は尚も上体を倒すと、赤木の耳へ直接声を吹き掛ける。
「誰もお前のことは救えない」
「・・・そんなこと望んでなんかない」
 押さえ込んだ手はそのままに、市川は己の膝を赤木の足の間に捻じ込む。細い躯が己の下で竦む気配を感じ、市川は口の端を引き上げた。
「得られぬ温もりを追うのは諦めろ」
「・・・・・・・煩い」
「のた打ちながら生き長らえ狂い、それでも死ねぬよ、お前は。アカギ」
 やおら市川の舌が、赤木の耳裏から首筋まで這い降りてきた。
 小さく声を上げ、赤木が顎を仰け反らせて震える。構わず市川は更にその細い喉笛を、顎先を、舌で嬲り上げた。
「お前は狂った正気と共に生きねばならんのさ」
 狂いながら、それでも正気を手放すことも許されず。
 身を竦め、跳ね上がる子供の躯。まだ幼さの残る、戸惑いを含んだ嬌声。
 顎先から伝い上がってきた市川の舌が、赤木の唇をねっとりと舐める。
「ン・・・っ」
 喘ぎに開きかけた赤木の口が、拒むようにきつく閉じられる。しかし市川の舌は許さず、そのまま抉じ開け、熱い息を隠す口内へと侵入する。奥へと逃げる子供の小さな舌を自身の舌で引きずり出し、絡め吸い上げる。仰け反る喉の奥で、くぐもった喘ぎが響いた。
 執拗なまでの市川に、息が続かないのか赤木が苦しげな声を漏らす。口の端からは飲み込めきれなかったのだろう、どちらのとも分からない唾液が零れ落ち白い頬を汚し始めていた。
 顔を背けようにも、躯ごと押し込まれた状態では身動き一つ出来ず、腰から下は抜けるように力が入らない。
 次第に震えが納まらなくなってきた赤木の様子に、市川は見えぬ目を細めた。
「ひゅ・・・っ・・・けほっ、あふ・・・」
 漸く解放され軽く咳き込む。息が上がって治まらない。
「慣れねぇな。教えたろうが、鼻で息しろ」
「はっ、こんな・・・ことっ慣れて何のっ・・・意味があるのさ」
 気丈に言い返したところで、市川のいいように追い上げられ、動けぬ躯と乱れた呼吸は隠せない。
「クク・・・。この後、お前が楽ってことだ」
 繋ぎ止めたままの手首を解放すると、市川はまだ小さく震えの止まらない華奢な子供の躯へと、更にその身を進める。
 熱に煽られ、碌に見えない振れた赤木の視界の先には、ガラクタ屑となった己が壊したラジオ。
 そうだ。壊れているんだ。俺も、この盲の老人も。
「――っ、あ」
 沈みかけた意識を狙ったように、市川から繰り出される律動が変わる。その躯分開かれた赤木の両足は、与えられる感覚に抗うかのように幾度も畳の上を滑り、擦れた音をさせた。
 自分の奥歯が上手く噛み合わず、震え音を立て始めたのを感じる。
 浅ましく切れ切れに聞こえる己が声、荒く吐き出される市川の呼吸、耳について仕方なかった雨音も、全てが一瞬で消える。

 分解される躯。墜落する意識。

 それは小さな死だ。

 

 

  + + + + + +
 
 
「・・・雨、止まないね」
 あんなにも真摯な声で赤木が市川に勝負を持ち掛けたのは、あの夜が最初で最後だった。今の赤木からは、あの夜の切実さを感じとることは出来ない。
「鬼のお前でも雨は嫌いか」
「なんだよ、それ」
 目の前に垂れ見える市川の髪を、赤木が引っ張る。
「何しやがるクソ餓鬼」
「耳元で怒鳴んないでよ」
「・・・勝手に這い上がっときながらその台詞か」
「いいじゃない。なんか寒いし」
 赤木は市川の首に両手を回し、その首筋に額を擦り寄せ小さく笑う。
「ったく。何か楽しいんだか」
「市川さん、つまらないの?」
「はっ。子ザルが膝の上に乗って、楽しい訳あるか」
「本っ当、ひと言多い爺さんだな。・・・ねぇ暇ならさ」「麻雀ならしねぇよ」
 云い終わらぬ赤木を市川が遮った。
「ちぇっ。ケチだね市川さん」
「なんとでも云いやがれ」
 クク・・・、と笑う市川の胸の振動が、もたれる赤木に伝わる。
 あれから勝負を請いはしても、それは戯れのように気まぐれで、赤木の真意は解らない。
 肩にもたれた赤木が僅かに身じろぎする。
「雨の日ってなんで頭痛いのかな?」
「お前、偏頭痛持ちか」
「へん・・・?何?それ?」
「知らねえのか」
「・・・悪いかよ」
 ふと思い付いて市川は、今だ飽きずに自分の首筋へと懐いている子供を見やる。
「アカギ、学校はどうしてるんだ」
「つまんないこと聞かないでよ」
 首元へ向けていた顔を肩口の方へ逸らし、赤木は不貞腐れた声を出す。
「市川さんはさ、そういうの気にしないかと思ってたけど、違うんだ」
「子供が学校に行かなきゃ、大人は気にするもんだ」
「つまんない。市川さんつまんない」
 肩に預けた額を、否、否とばかりに擦り突けてくる。
「・・・ガキか、お前」
「煩いな。・・・・・・つまんないよ、市川さん」
 つまらない、もう一度赤木は繰り返した。
 ああそうか。この子供は今この生に飽いているのか。自分を殺しうる何かばかりに心を奪われ、他の総てに絶望しているのか。
 可哀相な子供だ。 ・・・そうだ。つまらないことばかりだ、心の中で市川は思う。口には出さなかった。代わりに吐いて出たのは全く別の事だった。
「頭が痛いのはどうだ」
「・・・ん。別に・・・」
 またごそごそと身動きして、市川の首筋に顔を埋めてくる。
「もっと割れるぐらいに痛ければいいのに」
「クク・・・物騒だな」
「そうだよ。その方がずっといい・・・」
 アンタもそうだろ、市川さん。口の端を上げて云う赤木の息遣いに緩慢さを感じ、柄にもなく昨晩の無茶を思い遣る。
「おい」
「・・・平気」
 言葉とは裏腹に、擦り寄る赤木からは生気がない。徐に市川は腕を挙げ、赤木の背中を撫でた。
 びくり、と反応する躯。
「市川さん?」
 赤木が両手を市川の胸に突き、上体を起こそうとする。しかし市川は背中にやった腕に力を入れ、再び自分の中に赤木を抱き込んだ。
「人の上で動き回るな」
 そしてまた小さな背中を撫でる。ゆっくり、繰り返し。赤木の息が首筋に掛かり、くすくすと笑っているのに気付く。
「放り出されたいか」
「冗談・・・やだよ」
 赤木は市川の首に両手を回し縋りつき、やがて張った力を抜くと完全に躯を市川に預けた。
 市川は空いた片手で器用に煙草に火を点け、一口吸い、とろりと煙を吐き出す。
 年老いた自分なら残り少ないだろう時間を、陰鬱としながら過ごすのも悪くない。その中で巧く生きて行く術も知っている。だがこの子供はどうだろう。蔓延と続く生に飽いてしまっている、この子供は。


 手をやった赤木の規則正しく上下する背中から感じる呼吸と、首に当たる息の長さが変わった。
「・・・アカギ」
 首を巡らせ、市川が呼び掛ける。まさか。
「・・・寝たのか?」
 応えがない。
「クソ餓鬼め。人を枕代わりにしやがって」
 寝入った赤木の体温がじわり、と上がるのが分かった。子供の熱だ。
 人の棺桶の中で寝る、狂った子供の熱。
 市川は顔を顰め舌打ちする。全く如何かしている。それでもこの熱を手放す気にならないのは何故か。
「花冷えには、まあ使えるか」
 市川は煙草を口揺らし、その背を、髪を、いつまでも撫で続けた。





Today's they only as for this.


060430
華燭。華燭の典といって結婚式のことです(あんなトコまで見てる方がいるのか疑問ですが、一応)。生死感が出れば、と。
epilogueで完結です。